求人票記載の給与額と契約上の給与額

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使用者は求人票記載の給与額に拘束されるか?


たとえば、ハローワークの求人票や求人情報誌に「月給30万円~」と記載して従業員を募集していた場合、履歴書審査や面接を経て採用を決定した応募者に対し、必ず「月給30万円~」の条件で採用しなければならないのでしょうか。採用条件を本来満たさない人物でも「月給25万円なら採用してもいいか」と考えて採用したところ、後から「約束が違う」と言われて差額5万円について未払い賃金の支払を請求された場合、使用者としては対抗することができるでしょうか?ここでは、募集の際に示した賃金額に使用者が雇用契約上拘束されるか否かについて説明していきます。

労働条件の明示義務

まず、そもそも使用者には、労働者を雇い入れるに際して賃金額を含めた労働条件を明示すべき義務が課せられており、この義務が完全に履行されている場合には、上記のような問題が起きるリスクを基本的にはなくすことができます。
  
労働基準法15条1項は、「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」と定め、使用者に対し労働条件の明示義務を課しています。この規定を受けて、労基法規則は明示すべき事項を具体的に列挙し、特定の事項については書面による明示を要求しています(労規則5条)。明示すべき事項をまとめると、次のとおりです。

書面の交付による明示事項

①労働契約の期間
②有期雇用の場合の更新の基準
③就業の場所・従事する業務の内容
④始業・終業時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇、交替制勤務をさせる場合は就業時転換に関する事項
⑤賃金の決定・計算・支払の方法、賃金の締切り・支払の時期に関する事項
⑥退職に関する事項(解雇の場合を含む)

口頭の明示でもよい事項

①昇給に関する事項
②退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算・支払の方法、支払の時期に関する事項
③臨時に支払われる賃金・賞与などに関する事項
④労働者に負担させる食費・作業用品その他に関する事項
⑤安全衛生に関する事項
⑥職業訓練に関する事項
⑦災害補償、業務外の傷病扶助に関する事項
⑧表彰、制裁に関する事項
⑨休職に関する事項

就業規則と雇用契約書

労基法及び労規則が求める労働条件の明示事項のほとんどは、労基法が11号にわたって列挙している就業規則の必要的記載事項(労基法89条)と重なっています。そのため、ほとんどの労働条件の内容については、就業規則にその定めをおいたうえで、当該就業規則を交付することによって労働条件の明示義務を果たすことができます。就業規則は「常時10人以上の労働者を使用する使用者」に対してその作成と労基署への届出義務が課せられていますが(労基法89条)、こうした労働条件の明示義務を履行し、将来の紛争を予防する観点からいえば、すべての使用者において作成しておくことが望ましいといえます。
  
また、有期雇用か無期雇用か、給与の金額、就業場所や従事する業務の内容等は個々人ごとに異なり得るのが通常ですので、就業規則とは別にこれらの事項を記載した雇用契約書も作成・交付することが必要です。

募集時における労働条件の明示

このように、就業規則及び雇用契約書によって、採用時に労働条件を説明・明示している限り、冒頭の「給与額の食い違い」のトラブルが起きることはほとんどないといえるでしょう。
  
しかしながら、就業規則が未整備であったり、雇用契約書を作成していない使用者の方も相当数いらっしゃるのが実情であり、そのような場合に「給与額の食い違い」の問題がしばしば起こります。
  
労働条件の明示義務は、公共職業安定所への求人申込に際しても課せられていることから(職安法5条の3、職安則4条の2)、求人票には賃金に関する事項が記載されることになります。この明示義務は、労働者を募集する際に一般的に課せられているものですが、応募者を集めるため、求人公告等に見込賃金額を載せる企業は多いのではないかと思います。そこで、契約書がなくとも求人票や求人公告には一応の賃金額が表記されていることから、それと実際の賃金額が異なる場合に、労働者から求人票や求人公告記載の金額を支払うよう請求をされるという事態が起こり得るのです。

「見込額」と「確定額」

労働条件は合意によって確定する

一般に契約は、「申込み」と「承諾」によって成立します。そして、労働者の採用にあたっては、使用者は通常、履歴書や面接などによる審査を踏まえて、応募者を採用するか否か決定する余地を残して募集を行います。つまり、使用者が行う募集行為は「申込みの誘引」であって「申込み」ではありません。
  
したがって、使用者が提示する募集時の賃金額は、通常は「見込額」として提示するもので、これによって応募という申込みを誘うものに過ぎませんので、「見込額」が直ちに契約内容になるわけではありません。契約内容としての賃金額は、あくまで雇用契約締結時に合意された労働条件によって決まることになります。この合意内容を明確にするために、本来は賃金という労働条件は書面によって明示されなければなりませんが(労規則5条)、たとえ書面の作成を怠っていたとしても、口頭で説明のうえ合意がなされているのであれば、雇用契約上は契約締結時の合意内容にて賃金額が確定することになります。
  
このように考えれば、使用者は、募集時の「賃金見込額」に拘束されるわけではなく、あくまで契約締結時に確定した「確定賃金額」の支払義務のみを負うことになります。

合理的な説明と過程を経ない場合は賠償責任も

求人広告と異なる給与額であっても、労働者が契約締結時にこれに同意していたのであれば、契約内容としての「賃金額」は雇用契約成立時に明示されたもので確定します。
  
もっとも、採用面接時などにおいて求人広告どおりの賃金を支払うなどと説明し、特別な断りもなく内定を出しておきながら、入社日当日になって突如それと異なる賃金額を提示したような場合、その理由や入社日に至る過程によっては、入社予定者に精神的衝撃を与えるものとして、信義則上、損害賠償義務を使用者は負う可能性があります。求人票等に賃金見込額を記載し、あるいは就職説明会などで賃金見込額を提示したものの、実際の賃金額をそれと異なる金額とする場合には、誠意ある説明と雇用契約書の作成を必ず行うべきといえるでしょう。

八州測量事件(東京高判昭和58年12月19日)

・本件求人票に記載された基本給額は「見込額」であり、最低額の支給を保障したわけではなく、将来入社時までに確定されることが予定された目標としての額であると解すべきである。
求人は労働契約申込みの誘引であり、求人票はそのための文書であるから、労働法上の規制はあっても、本来そのまま最終の契約条項になることを予定するものでない。
・そうすると、本件採用内定時に賃金額が求人票記載のとおり当然確定したと解することはできない。

労務管理には専門家の支援を

未払い賃金や残業代を巡る問題では、このほかにも様々な雇用ルールを押さえるとともに、「労働時間性」、「割増賃金の基礎となる賃金」、「固定残業代制度」あるいは「労働時間規制の適用除外」などの法的事項を踏まえて対応を検討する必要があり、使用者が予期しない、あるいは意図しない未払賃金・残業代が発生しないように適切に労務管理をする必要があります。
  
労働規制は複雑なうえに、その理解と運用を誤れば数百万円、あるいは1000万円を超える未払い残業代請求として大きなリスクを企業にもたらします。労務管理については、労働問題に強い弁護士や社会保険労務士などの労務の専門家の支援を受けながら、制度設計と運用をされることを強くお勧めいたします。真面目に経営をされている経営者の皆様が、法を「知らなかった」、あるいは「軽んじていた」がために、苦しい思いをされることが少しでもなくなるようにと願っています。


 

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