予期しない残業代請求を受けないための就業規則の規定と運用

残業代発生の有無には細心の注意を

従業員による企業に対する残業代請求は、企業を取り巻く労働問題の中で最もポピュラーかつ頻繁に起きている問題であり、報道でもしばしば耳にする言葉です。「自社には関係ない」「うちはちゃんと払っている」「残業はさせていない」と思っている企業であっても、ある日突然、まったく予期しない残業代請求を受けてしまうというのが、残念ながらこの問題の実態です。背景事情によっては、残業代請求をする従業員に「あれだけ良い待遇にしてやっていたのにこんな請求をするなんて」と怒りの感情を持たれる経営者の方もいらっしゃるでしょう。

法は使用者に対して厳しい労働時間規制、割増賃金支払義務を課しています(労基法32条、36条、37条、119条等)。そのため、経営者の方の気持ちはよく理解できることも実際多いですが、残念ながらそうした経営者側の考えや取扱い方法は裁判所に簡単には認めてもらえないことがほとんどです。企業は、法令に適合した労働時間管理と賃金の支払いを細心の注意を払って行うことが求められています。時間外及び休日労働に関する就業規則の定めと運用については、何度も何度も再点検をしていただくことが、企業を予期しない残業代請求から守ることにつながるでしょう。

「残業させる」だけではなく「残業させない」ための規定が必要

 「残業させる」規定がかつてのスタンダード

労働基準法は、使用者が労働者に労働させることのできる1週および1日の最長労働時間について、それぞれ40時間及び8時間の法定労働時間規制をしています(労基法32条1項、2項)。また、休日については、「使用者は、労働者に対して、毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない」と規定し、週休制を基本原則としています(労基法35条1項)。
  
雇用契約上の労働条件は、こうした規制の範囲内で定める必要があるため、法定労働時間を超えた時間外労働、休日労働を行わせるためには、36協定の締結とともに、就業規則等によって業務上の必要があるときは残業を命じることができる旨を定めておく必要があります。このような観点から、就業規則には通常、「会社は、業務上の都合により第○○条の所定労働時間を超え、又は第○○条の休日に労働させることがある」などと規定します。

 「残業させない」規定の重要性

かつては業務上の都合に応じて従業員に残業をしてもらうためのルール作りが重要でしたが、今では逆に、業務上の必要性を欠く残業を阻止するためのルール作りが重要となっています。

 モラルハザードと生産性低下

時間外労働等に対する割増賃金は、その名の通り通常の賃金に対して25%以上割増した賃金の支払いが必要となるものですが(労基法37条)、労働者にとってみれば基本給等の固定給にプラスして得られる賃金として収入上の期待が持てるものです。働き過ぎは問題ですが、多少の残業によって収入を増やしたいという労働者もいるでしょう。このときに、本当に業務上の必要性に基づく残業であれば良いのですが、仕事もないのに残業代目当てで会社に残っているという従業員もいます。残業ありきで、日中ダラダラと仕事をしているという場合もあるかもしれません。
  
所定労働と時間外労働の線引きを企業として明確にしておかないと、業務上の必要性はないのに、会社に残っているだけで賃金が増える、というモラルハザードを招きかねません。このことは、優秀な社員の離職を招くという観点からも会社にとっては大きな損失となりえます。働き方改革で声高に叫ばれている「生産性」の向上は望めません。

 不測の残業代請求

ダラダラ残業であっても、会社が残業として許容しているという場合であれば、未払残業代請求の問題とはなりにくいかもしれません。残業代請求の問題へと発展するのは、会社がそもそも従業員の会社への居残りを「残業」として捉えていない場合です。
  
例えば、他の従業員と比べて仕事が遅い従業員が、「自分のせいで今日の仕事が終わらなかったので、少しだけ残らせてください。残業扱いにはしないでください」と言ってきたため、「今日中にやる必要はないが、責任感があっていいやつだ」などと言葉どおり受け止めることがあります。あるいは、真面目そうな従業員から「仕事は終わっていますが、もっと勉強したいので、少し会社に残って本を読んでいきたいです」とお願いされ、「勉強熱心だ」とその申し出をそのまま受けとめることもあります。
  
会社としては、その従業員が会社に居残ることを「残業」として捉えていませんが、実は、後からこうした従業員から残業をしていたなどと言われ、未払残業代請求を受けることがあります。こうした事例では、経営者の方が「裏切られた」「許せない」と残業代請求をしてきた従業員への気持ちを吐露されることも多く、事情を伺えば伺うほどそのような気持ちをいだかれることはもっともだと感じています。こうした請求を受けた場合には、会社に居残っていた時間が労働時間にあたるか否かについて使用者側は争うことになります。

 タイムカードの強さ

労働時間には該当しないと企業が自信を持って言える場合であっても、労働者が残業代請求を容易にできる理由は、タイムカードの存在にあります。タイムカードによる労働時間の記録がある場合には、使用者による適切な反証がない限りその記録に従って時間外労働の時間が算定されることが裁判上の趨勢となっています(M栄西野事件‐大阪地判平成20年1月11日、Sライフ事件‐金沢地判平成26年9月30日ほか)。
  
したがって、労働時間をタイムカードによって記録している場合には、使用者が「あの従業員が会社に居残っていたのは単に本を読んで勉強していただけだ」「残業しろとは一言も言っていない」などと言っても、簡単には通用しないということになります。

 就業規則の定めと運用が勝負を分ける

こうした事案において、会社側の主張を裁判所に認めてもらうために重要なのが、やはり就業規則の定めとその運用です。
  
① まず、タイムカードの記録が、労働時間そのものを記録しているものなのか、それとも単に出退勤を記録しているものに過ぎないのかを明確にします。タイムカードに打刻された時間が当然に始業時刻や終業時刻に該当するものではないというのであれば、誤解されないようその点を定める必要があります。
  
② そのうえで、残業が無条件で行えるものなのか、それとも事前許可性なのか等について明確に就業規則上定めます。会社があらかじめ許可した場合に限り残業が可能であることを明記します。
  
③ そして、定めた就業規則どおりに労働時間管理を運用します。残業許可制を採用したのであれば、残業申請をしないまま所定終業時刻後も在社している社員を放置しておいてはいけません。そのような社員に対しては、繰り返し注意・指導するとともに、場合によっては業務命令違反に基づく懲戒処分をも検討しても良いと思います。このように厳格に就業規則を運用してはじめて、使用者はタイムカードに勝る反証を行うことができるといえるでしょう。

労務管理には専門家の支援を

ここでは「時間外労働」に関し就業規則の定め方とその運用について説明をさせていただきました。就業規則の定め方はもちろん重要ですが、就業規則は定めて終わりではありません。定めた規則は適切に運用し、あるいは運用できる体制を整えてこそはじめて効力を発揮します。ひとたび裁判となれば、適切な運用がなされていない就業規則はそれを文字どおり「規則」として認めてもらえないリスクがあり得るということも意識して、就業規則は定め方だけではなく運用面にも気を配っていただければと思います。
  
労働規制は複雑なうえに、その理解と運用を誤れば経営を揺るがしかねない大きなリスクを企業にもたらします。労務管理については、労働問題に強い弁護士や法律事務所などの労務の専門家の支援を受けながら、制度設計と運用をされることを強くお勧めいたします。真面目に経営をされている経営者の皆様が、法を「知らなかった」、あるいは「軽んじていた」がために、苦しい思いをされることが少しでもなくなるようにと願っています。


 

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